2009年03月04日

バンクシーとノマドロジー(遊牧論)1

「平和とか正義とか自由とか・・・西洋の民主主義じゃもう誰も信じなくなったことを、匿名でも声高に叫ぶ勇気が、おれにあればなって思う」 バンクシー『壁と平和』


ガーディアンとのインタビューで彼自身が言うように、バンクシーのアーティストとしての始まりは、「仕返し」だったという。「学校じゃあ持ち物すべてに名札をつけさせられた、そんな感じ。おれは電車もってないから、そこらへんの電車に自分の名前を書く。そうやって名前を書きまくって、この街の半分くらいを所有することができるんだ。」

バンクシーはグラフィティ・アーティストといわれるけれども、グラフィティーは公共空間への落書き、いたずらがきと紙一重、っていうかそのものだ。が、今日のような現代アートのコンテクストにあっては、匿名の落書き、というだけじゃすまない。

アーティストの作品に対する権威(ロラン=バルトの『作者の死』またはフーコー以降の議論)や、私的/公的財産権、政治的トピックへの言及など。かといって重苦しくはなく、様々な外的要因を意識しながらも、遊び心をもち、皮肉いっぱいながらも軽さをわすれないバランス感覚は絶妙。

グラフィティというストリートのゲリラ戦略で、システムに管理されたキャピタリスト空間それ自体を自分のキャンバスにし、住民を巻き込みながらこれを有効なアートスペースに変えたことは、またギャラリー主体であるハイアートときれいに対比していておもしろい。


(つづく)
posted by ろんどな at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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